神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法について 〜その三〜

今回は私の人生を左右したと言っても過言でない、というと大袈裟か笑。

怒涛の高校時代を書いてみたいと思います。

 

中学三年での優勝を区切りに、受験勉強に打ち込みます。といいながらも、卒業まで道場には通ってました。生活習慣のリズムですね。

 

晴れて念願の高校に合格し、その嬉しさにしばし酔います笑。私は大阪の名門・北野高校に進学することになりました。私は101期生で、すでに当時で100年余の歴史を持つ全国レベルの超進学校です。最近では全国2位の偏差値らしく、OBには手塚治虫氏など有名な方々が名前を連ねます。あの元知事・市長のH弁護士は一つ先輩です笑。

 

コジマンな話はこの辺にして笑、念願の高校に入学した私は、血迷ったことに日本拳法から離れて部活・クラブに入部します。当時は武道系は汗臭い、ダサいイメージが強く、思春期の私はちょっと色氣づいたのか黄色い声を求めたのです笑。

身体が大きく、クラブ主催のスポーツテストも抜群の成績からあらゆる体育会系のクラブから勧誘されます。はい、バラ色の高校生活が空っぽの頭に浮かんでました。笑

そして熟考の末、陸上部に入部します。まぁ、体育大会とかで目立ちたかったのでしょう。

ちなみに、専門にしたのはhigh jump・高跳びとマイルレースつまり400×4リレーです。

人生初のクラブ活動に、ハマります。放課後に同級生と一緒に汗を流しながら、青春を語り合う。楽しみました。夢中になりすぎて、勉強は疎かになり、中間テストはさんざんな結果でした。はい、北野高校を舐めてました笑。

 

こりゃいかんと、親からは退部を命じられますが、もちろん反抗期で聞き入れません。

そんなこんなで一学期がすぎていきます。

そんな夏休みに、友人たちと映画を観に行きました。それがロッキー4・炎の友情です。

ロッキーは元々、母、姉ともに推薦の映画で小学校の時に観せてくれました。強くなりたかった私には思い出深い映画です。ちなみに始めて買ったレコードがロッキーのテーマでした笑。

ロッキー4。いや〜、衝撃を受けました。もう独りで13回も映画館に観に行きました。

その時にふと思い直します。

俺は何のために走ってるんだろうと。

早く走るために練習を積む。もちろん素晴らしいことなのですが、映画を観終わった私には、それを私は求めていない、"拳法"でのパフォーマンスを上げるための基礎訓練として今まで走ってたんだと。武道が、格闘技が、日本拳法がしたい❗️と電流がカラダを走り抜けました。

 

話は少し脱線しますが、私にとって映画は人生にとって大事なメッセージを送って・贈ってくれます。たまたまなのか、ご縁なのか、今自分が求めている道を、考えを、いろいろなことを勉強できる映画を偶然観ては、自身を創ってきた経緯があります。それくらい影響力がありました。それもあって映画が大好きです。もちろんホラーやショウモナイ映画は観ませんが笑。

 

それを機に、迷いはなくなりました。お世話になった陸上部の夏の試合に出るのを最後に退部して、日本拳法の道場に復帰することを選びます。私にとっての人生の大きい岐路の一つでした。

北野高校には日本拳法部がないので、道場に通うこととなりました。

その際に、所属していた総本部・洪游会本部から新しい道場へ移籍します。

それが私の人生を変える道場・仏光振武会です。まだ新しく創設された道場で名将・近藤寿一師範を筆頭に親身な平興隆道場長、もちろん岡田師は特別師範として、そして元中部チャンプの笹部指導員の錚々たるメンバーの方々に練習をつけてもらうことになる私の礎を創る道場となります。

 

転門時は、既に拳法歴十年ですから白帯とはいえ、少々の黒帯の人や茶帯の人たちにもヒケをとらず戦いました。いや〜、改めてやりたい!と思った拳法漬けの日々は最高に楽しく充実したものでした。それが奏して実力もドンドンついていきます。水を得た魚とはあのことを言うのでしょう。

そんな日々で、少し天狗になってしまいます。先生方を省いて、この道場では俺より強いのはいないなと笑。そんな夏の終わりごろに運命的な出会いを得ます。それが、後に私の義兄のような存在であり、一番弟子でもあり、今は明光武道 深雪館の師範代である香積学兄です。

香積兄とは、昇段試合の前日の練習試合で初めて拳を交えます。天狗だった私は、あまり見かけない拳法スタイルに驚きます。こんな人いたか?と。今では天才肌の香積兄のことはわかりますが、当時は驚きます。

日本拳法の試合は三本勝負のルールで争われ、先に二本先取で勝ちとなります。ちなみに元世界チャンピオンやプロ選手も言ってますが、日本拳法の一本は実戦ではKOパンチに等しいと激しさとその破壊力・実戦性を物語ります。

 

その練習試合では、茶帯の香積兄と白帯の私の一進一退の攻防となり、互いに一本ずつ取っての三本目の勝負となりました。お互いに絶対の距離から私が先に出ます。フェイントから掌底で胴を狙い、そのまま一本が入り試合は私の勝ちとはなりました。ですが、心は晴れません。なぜなら、そのまま掌底打ちを入れる一瞬前に、私は前拳のカウンターでパンチを受けてたからです。審判から死角で見えなかったのか香積兄のカウンターは幻の一本となり、そのコンマ数秒直後の私の掌底打ちが一本コールを挙げられます。本来だったらよくて相打ちだったなと私は思いました。

いわゆる試合に勝って、勝負に負けたってヤツです。それを機に、香積兄の名前、そして互いの拳法論を語り合いながら、年齢を超えてお互いリスペクトしながら、同士として共に修行に励むこととなったのです。

 

エライ長い文章になったので、今日はこの辺で笑。

 

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運動と免疫 〜その四〜

今回はオススメの運動法について書きたいと思います。

 

筋肉をつけるといっても、闇雲にジム通いやマラソン、重い負荷やマシーンで鍛えるなどは、前にも話したように健康法としてはオススメしません。それはそれなりの目的があって、そのデメリットも覚悟の上でスポーツされてると思います。短絡的に結果を追うと、そのデメリットも同時に覚悟しなければならないことを心してくださいね。

 

私がオススメする運動法は、ゆっくりとした動きの継続と、第二の心臓ともいわれる下半身、特に人で一番大きい筋肉である太もも・大腿筋を使ってカラダに負担なく筋肉を創る運動です。

 

まず今日はウォーミングアップのブラブラ体操から始めましょう!

詳しくは拙著・立つだけ!医者いらずの太もも力を見てください。写真付きで図解されてますので始めやすいと思います。

 

◯ブラブラ体操

基本姿勢をとります。

☆基本姿勢とは、男性は肩幅、女性は腰幅くらいに足を開き、足先はまっすぐして膝を少しだけ曲げます。背筋はピンとは伸ばさず、骨盤だけ立てる状態を作って上半身をリラックスさせた状態でまっすぐ立ちます。

その姿勢で手の甲を上に向けた形で、前方に思いきり投げ出します。投げ出した瞬間に肩の力を抜いて、惰性で手をぶらつかせます。後方に来た手をまた、前方に思いきり投げ出します。の繰り返しを行います。特に投げ出すときに、ココロとカラダの中の悪いもの・東洋医学ではVirusもstressも邪氣としますので、それを出て行け〜と投げ捨てる想念・イメージを持って行うことが大事です。これは中国武術スワイショウというメソッドを基にしたものです。

氣体一致で、自分の想う通りにカラダを動かすことが重要なことです。

 

まずは実践して見てくださいね。

今日はこのへんで。

 

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宿便のはなし 〜その三〜

宿便のタイプ別症状シリーズの続きです。

 

○右落ち・右食症

盲腸付近に宿便が粘着停滞し、その重みにより骨盤が右前方に傾き、その奥先にある迷走神経叢を異常圧迫する。そのため副交感神経が異常緊張し、強制優位に立つことからココロもカラダも抑制する、つまり休養させるよう働き、その状態が続く。

そのことから起こる症状は低血圧、心臓肥大、頭痛、不整脈、脳血栓、慢性便秘、頻尿、冷え症、鬱症状、朝起きれない、やる氣が出ない体調など。

 

主な原因

・甘いモノ、糖分の過剰摂取

 

拙著「立つだけ!医者いらずの太もも力」に詳しく記してますが、こちらのブログシリーズにも根本的に正す方法も書いていきたく思います。

いつも言ってることですが、この世に絶対的な治療法、医学などありません。自分のカラダのことなのですから、人任せ、医者や情報などに依存せず、自分の責任で選択してベストな方法をとってください。誰でもない、あなたの人生ですよ。これは健康法だけでなく、人生そのものにいえることです。

このブログがキッカケになれば嬉しい限りです。

 

今日はこのへんで。

 

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運動と免疫 〜その三〜

運動と免疫活動について、三回目の投稿です。

 

 今回は運動と免疫の関係を話しましたので、どんな運動法がオススメかを書いてみたいと思います。

ここでは、前回書いたどの運動法が優れているとかの話をするのではなくて、健康を守る上でオススメの運動についてお話したいと思います。

 

1.ゆっくりとした運動

2.太ももを使った運動

3.継続できる運動

 

では、次回からひとつひとつ実践編として解説していきます。実際にやってみてくださいね。

今日はこの辺で。

 

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坐禅瞑想 〜その四〜

見つめ直すこと。

 

私は瞑想の講演をする際は、どなたにも理解していただきたいので、いわゆる現代宗教色を取っ払って、敢えて脳科学や衛生医学などのエビデンスを基に解説しています。

でもね、私自身は本当に伝えたいのは、その枠の狭い科学、エビデンス主義では計り知れない瞑想の素晴らしさなんです。

 

我々明光武道 深雪會グループで伝えている瞑想法は、シリーズで書いてきたことばかりではなく、本来は武道瞑想として、自分を見つめ直す時間を持つこと、そして天地・大自然と繋がる機会を持つことが真なのです。少なくとも古の日本ではそういう機会を持つことが多かったのです。

 

今の自分はどんな自分なのか、そして本当の自分はどうあるのか、どうしたいのか。自分は本当は何ができて、何ができないのか。今の自分は実力以上に背伸びや無理していないか。

 

また、心の傷、自分では把握していない潜在的な傷、それらを癒すのは他人や医者薬ではない、自分自身なのです。どう屁理屈を捏ねてみても、最後にその傷の原因を認め、受け入れ、正し、癒すことは自分しかできないこと。東洋医学の言葉で心身一如という言葉がありますが、まさしく、今のカラダの症状も大きくこのココロの状態が、傷が影響します。自分のココロは自分でしか治せません。しっかり、焦らず見つめ直してあげてください。

 

坐禅・瞑想は自分自身と向き合う時間なのです。一番素直に、そして自分の中で全てを受け入れ、また見直し、正す、自分だけの時間です。ただただそれを繰り返す。シンプルな行為です。

それらを、こうあるべきだと決めつけ囚われたり、決めつけて行うのではなく、全てはあるがままに前に進んで行く。そうして、本当の自分を受け入れ、前に進んで行く。それが間違ってたら、見つめ直して進む方向を正す。焦らず、毎日続けて行くことで、それが可能となっていきます。ただただ自分と向き合うのです。

 

文章で瞑想を語ることは難しいですし、正しく伝えるのは難しくもありますが、上に書いたように、自分を見つめ直し、本当の自分にしていく、そうして何が起きようがブレない自分を、自分軸を創っていくことが瞑想なのです。

 

まずは、座ってみませんか。

今日はこの辺で。

 

 

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宿便のはなし 〜その二〜

前回は宿便について書きました。

 

では、その宿便が腸内停滞するとどういう症状が出るかを書いていきたく思います。

 

○左落ち・左食症

宿便が腸の直腸付近、S状結腸に粘着停滞し、その重みにより骨盤が左後方に歪み落ちていき、その奥にある太陽神経叢を異常圧迫する。

それにより、交感神経が異常緊張となり亢進型の症状が発症する。

夜になっても眠れない、他人との協調するのが億劫、攻撃的な性格、アトピー性皮膚炎、心筋梗塞脳梗塞、高血圧症、左側の痔、左側の水虫など交感神経が異常緊張することで発症する症状が主です。

なぜ左後方なのかは、講演でも聞きに来てください。もしくは拙著・立つだけ!医者いらずの太もも力を購読してください笑。

 

○原因の一つ

食生活です。

特に動物性蛋白質の過剰摂取、油物の過剰摂取、量的過食・早い話が食べ過ぎ笑

 

では、どうしたら宿便は排出できるか。

そして歪んだ骨盤はどう戻すか。

それはこのシリーズのまとめの章で書きたいと思います。興味ある方は最後まで根氣よく読んでください。

また、これが絶対なメソッドてはありません。

参考にして、自分で調べて、自分で自分のココロとカラダを見つめ直してください。

それが重要ですよ。

 

今日はこの辺で。

 

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日本拳法について 〜その二〜

今日は、続編の中高生時代のお話を書いてみたいと思います。

 

前回では、日本拳法を五歳から始めた話を書きましたが、その後中学三年まで、日本拳法発祥の道場である総本部・洪游會本部に所属して、有名選手やOB、もちろん岡田師ら大人たちに揉まれながら練習を続けました。

自分がどのくらい強いのか、ハッキリわからないまま練習を続ける毎日。たまにはサボったり、イヤイヤ行ったりなど、英才教育ではないけども、継続は力なりで道場に通い続けました。

そうしてるうち数年の間にそれまで少年の部というのがなかった時代から、新しく創設された時代へと移っていきます。そして、十四歳の夏に初めて公式試合に出場します。それが日本拳法洪游會三十五周年記念大会です。

 

それまでの私は、大人に混じって練習してたので、いくら中学三年で身長が180cmあっても、ヒョロヒョロでしたし、最初の方はゴツい大人たちには寝技もあって、力でなかなか敵いませんでした。ですがそれなりに若いながらも十年近いキャリアとセンス、手足の長さを活かせて対等に組手ができるようにはなってました。あの白帯は誰だ?といわれたこともあります笑。

だから、自分がどれくらい強いのか、試合では勝てるのかなど全くわからない状態で、ただただ名師範・奥瀬先生に教わるがまま拳法に打ち込んでました。昭和やね笑。

 

そして、最初で最後の少年の部(まだまだできたて)での試合当日。

奥瀬先生のアドバイスは、いつも通りでいい、ただ、先に行け!とだけ。

初めての試合で、さすがに緊張して喉が渇きます。当時は試合前に水はご法度な時代。カラカラ感が余計に闘争本能に火をつけます。

後で聞いた話ですが、私はバリバリの大阪人ですから、それなりに氣が短いのかもしれませんが、道場では大人に囲まれた中学生というのもあり、おとなしく寡黙に振舞ってたので、試合当日の私の顔を見た先輩方が、「あいつ酒でも飲んだんか?笑」と揶揄うほど、試合相手と対峙した時の顔は今までにない仁王だったそうです。笑

その頃のビデオがあったらな〜。今みたいに普及してない時代やったからな〜。悔しいね。

 

そうして試合直前にふと見ると、その目線の先にはなんと奥瀬先生が。あまり試合会場には足を運ばないで有名な奥瀬先生が、私の試合を見てくれている!勇気百倍で、アドバイス通り、先に攻めます。すると、オモシロイように技が極まる。突き、蹴りが入り相手がよろける、仰け反る、場外へ追いやれる。圧倒的強さで勝ち進んで、一本も取られずにトーナメントを制覇し、初めての試合で初出場初優勝してしまいました。自分でもビックリ笑。知らない間にこんなに強くなってたんだと!

そうして、試合後に奥瀬先生の顔を見ると、あのあまり褒めない先生が初めて「よし!」と褒めてくださいました。あの嬉しさの感度は今でも書きながら涙が浮かぶほど、忘れません。私の格闘家時代の原動力の一つです。

 

人生で初めていただいたトロフィーを持って、祝賀会では大先輩方々からお褒めの言葉をいただいては、祝杯をさせていただき(たぶん金色の泡の出る苦いジュースだったと思います笑)、なぜかしらフラフラになりながら、家に帰ったのを覚えています。

 

そのトロフィーを、まずは神棚へ。そして母に。後ほど、家族や岡田師と祝賀会をしていただき、勝利に酔いました。通っていた中学校の担任の先生から、朝礼で表彰して貰おうと提案してくださいましたが、少年時代は年頃で照れ屋だったのもあり、ひけらかすのが嫌なのもあって丁重にお断りしました。今、思えばやってもらってたら、靴箱にラブレターの山やったんちゃう?って思ったり笑。まぁ冗談ですけどね。

 

五歳から始めた日本拳法。格闘技。武道。

私には、複雑な環境下での育ちでも、グレることなく前に進めたのは、この日本拳法、そして武道を学んで培った、自身の誇りと軸、肚に信念があったからだと思っています。

もちろん神様、そして精一杯頑張ってる母親の背中、家族や友人、周りにいてくれる方々の愛は言うまでもありません。

 

今日はこの辺までで。

次回は拳法時代では大きい転機を迎える高校時代を書きたいと思います。読んでくださった方には感謝です。

 

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