神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

読み直して氣づくこと

何年振りにか、昔読んだ本を開いた。

その頃の自分と、今の自分とでは感じること、氣づくこと大いに違い、また血肉となった。

 

日本の氣の大家の一人ある藤平光一氏が書かれた「氣の確立」。

若かりし頃に読んだ以来、二十数年ぶりに読み直したら、非常に興味深い箇所がたくさん氣づけて、いろいろな意味で笑みがこぼれた。

 

何でもそうだが、これが絶対!一番いい!などは存在しない。病の治療にしても、武術の優位にしても、真理についてもだ。

ただ、いわゆる現代の医者や武術家、哲学科、宗教家などは自分の主張、流派の優劣に固執する。ゆえに有意義な発展がなくなってしまう。

 

もちろん私も修行時代はその一面は多々あった。でないと続けるという心がもたない。

だがそうであると、いずれ壁にぶつかるし、矛盾を呑み込もうとしてしまう。さらに慢心、暗示、洗脳にかかり2度とそこから向上することは難しいであろう。続けて修めることと、固執して発展がないのとは大いに違うのである。が、それに氣づいていないのが世の中の現状だと残念でならない。

 

私が伝えている明光武道。古の日本に在った氣の文化や武道。明治維新や戦後のGHQ介入によって意図的に氣の文化を廃れさせられた背景を持つ現代日本にだからこそ、もう一度氣を再興させるべく生まれた武道。その原理は古神道の大本の核と、東洋の大成した武術・意拳の核の本質的な部分の融合発展であり、私が生涯学んだ医食農武の様々なメソッドの集大成として核を纏め上げた武道である。もちろん、これからまたまだ精進発展させていく日々である。

伝説の意拳伝承者・尤氏が意拳チベット密教(坐禅瞑想)を融合して空勁(氣で相手を制する)を体系化したことにはやはり、深い意義があっての融合発展だったと考える。

この日本で、古に存在した氣の文化・武道を再興させるべく伝統を重んじながらも、新しく発展させ古に存在したであろう氣の武道をこれからの新武道として確立したことに、今回この本を読み直すことで改めて自負心を持った。

 

藤平光一氏にとっての植芝盛平翁、中村天風氏。その修行の悟りの中で、いろいろと共感する箇所、異感な箇所を感じながら楽しく興味深く読んだ。天地の道理に合うという言葉は、人として根本的な考えであると思う。

私が氣の武道を修行中に、師である難波先生から何度も厳しく、その根源は何であるかを悟らされた。しかし、頑なに武道に固執する私には頭で理解できても肚に治るまでは、本当に長い時間要したのを、今でも痛いほど覚えている。難波先生の愛情ゆえに厳しい指導は、本当の意味で私を変えてくださったと今も感謝の氣持ちでいっぱいですし、武の極を悟らせていただいたのは私の宝でもあります。

 

ブログの狭い箇所では書ききれないし、言葉にするのは難しい部分もあるが、一つの事象には複数の要因が絡まり成り立つ。その中で要因、補助要因を見極め、その根本・本質を悟ることが我々が伝え残そうとしている医食農武同根の考えであり、明光武道はその体現であると位置付けて活動している。

 

今日はこんくらいにしとこ笑。

 

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