神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

総合格闘技のパイオニア・日本拳法 〜その一〜

今日は、日本で総合格闘技のパイオニア的な存在である実戦武道・日本拳法のことについて、少し書いてみようと思います。

 

私は五歳の時から武道を学んでます。

そのキッカケは、母が観せてくれたブルース・リーの映画「ドラゴンへの道」。これが私の人生に多大な影響を与える映画となりました。

観た後の私は、拳法を習いたいというよりは、ブルース・リーそのものになりたいと、母にヌンチャクをねだり、蹴りを真似たり、筋肉ないのにカラダをバキボキさせたりと笑、毎日頭の中はブルース・リーしかなかったことを朧げに覚えています。複雑な環境下で育った私には、強くて無敵なブルース・リーのように強くなりたいと本能的に思ったのではないでしょうか。

そしてその数日後に、縁あって伝説のチャンピオンである拳法家・岡田賢三師に日本拳法を学ぶことになるのです。

 

では、この日本拳法ってどんな武道?

まだ知らない人のために、簡単に説明しましょう。

日本拳法は昭和初期に澤山宗海宗家が生み出した総合格闘技・武道。古来の相撲や古流柔術も参考に、柔道と空手を融合して突き・蹴り・投げ・極め技と全ての技が許される総合武術として、さらには独自の防具を考案し、その当時自由に、実際に実戦としての殴り合う組手がなかった時代に、防具着装して実戦そのままに、思い切り殴り合う練習をすることができる、まさしく実戦総合格闘技を創始した。早い話が何でもありの実戦を鎧のような独自の防具を装着して行う激しい格闘技です。裏ではあまりにも強く喧嘩拳法とも噂されたとも聞いたことがあります。笑

この日本拳法は、その実戦性の高さから、警察の逮捕術の原型となったり、自衛隊徒手格闘術のベースになったことや、その逮捕術や徒手格闘術が完成するまでの当時は、日本拳法を実際に練習してたほど、その実力は知る人ぞ知る超実戦性の格闘技・武道なのである。

ゆえに、日本拳法の実戦勘は抜きん出ており、拳法出身者のプロスポーツ選手は多い。

日本人で初めてムエタイチャンピオンを破ったキックボクシングチャンピオンでK-1の主任レフェリーなども務めた猪狩元秀氏や、ボクシング世界チャンピオンで当時の日本防衛記録をつくった渡辺二郎氏、私も全日本選手権大会で戦ったことのある(もちろんその時は俺が勝った笑)シュートボクシング日本チャンピオンのハードパンチャー梅野孝明氏、K-1日本チャンピオンの自演乙こと中島雄一郎選手など、たくさんの選手を輩出してきた。

 

私は五才からその日本拳法を学び始めるのだが、まだ少年の部などもない時代、当初は日本拳法の総本山である洪游會本部道場に入門し、スター選手が多い中(日本拳法を澤山宗家とともに創始した中野満先生が創設された道場で、世界チャンピオンの中島さんや美技の山根さん、怪力の筒井さんなど名選手が多数在籍)、伝説の王者になった岡田氏はじめ、チャンピオンメーカーといわれた名師範・奥瀬先生について基本をミッチリと学んだ。

大人しかいなかった時代は、泣きながらも泣くときはトイレでしかダメ的な空氣の中で強く鍛えられましたが、当時子どもが道場に通うのは珍しくもあったので、かわいがって貰ったのも覚えています。

特に日拳特有の直突ワンツーは何万回突いたかわからないくらい反復練習したのを今でも覚えている。おかげさまで現役時代はワンツーは、正確かつ全日本の中でもかなり早い方だったと自負している。

後、笑えるのは先ほど書いた、幼い頃よりブルース・リーのマネを何度もしてたのが功を奏してか回し蹴りが本当に上手く、キレイだった。これは岡田師匠にも褒められたこと記憶してます。

それは自分のオハコの技になるほどに育ったのですが、それはまた次回にしましょう。

 

次回はその後、中高生の頃を書こうかなと思います。暇な方は読んでみてくださいな笑。今日はこの辺で。

 

 

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