神田真澄の氣ままな話

明光武道 深雪館 館主のブログ

日本拳法について 〜その四〜

前回は天才肌の香積兄の話だったので、その続きを書いてみますね。

 

練習試合を終え、いよいよ昇段試合の日を迎えます。

日本拳法の試合では、現在では形の審査に筆記試験、そして最後に試合と多様になったようですが、私がいた当時は試合のみで、勝たなければ昇段はできないシステムでしたので、引き分けも負けと同じでした。特に日本拳法会という最も人口の多いファウンダー団体だったのですが(他に数団体あり)、そのルールは無差別・三本勝負。例えば他団体の一つである日本拳法協会では体重別の三分間本数優勢勝ち制ですが、日本拳法会の一般の部では体重制限も年齢制限もありません。もちろん高校や大学のクラブは、同じ学生同士で戦うことが多いのですが、道場に所属した私は高校生ながら大学生や社会人と戦うことがほとんどでしたので、今思うと笑える話ですわ笑。

 

話は戻って、まずは香積兄の初段戦。初段は当時連続で二人抜き、つまり連戦連勝しないと初段・黒帯にはなれません。そんな中、香積兄は圧倒的強さで勝ちを収めます。さすがに数十年近く前の話なので試合内容は覚えてないですが、試合の後に東京に戻るという離れ技をやってた香積兄は、私の公級・茶帯の試合が始まるまでに時間がなかったので、自らの試合後の興奮真っ只中でエールを送ってくれて帰京します。香積兄は東京の大学だったので、主に夏休みなどの大型休みの時にだけ大阪に帰阪して練習、試合に出場してたのです。東京にも日本拳法の他団体はあったのですが、吾らが仏光振武会で拳法生涯を過ごされます。

元々、香積兄も、私も熱い人間なので笑。

 

そして戻って私の試合。

香積兄をはじめ道場の皆からも、岡田師からも太鼓判を押されていたし、優勝経験もある私でしたので正直勝つことしか考えてませんでした。そんな自身過剰からか、なんと試合の初めの立会いで、相手と睨み合いをきかせてしまいます。若造の私は頭に血が上り、そのまま試合が始まります。

いや〜、その試合は私の拳法人生の中で一番無様な公式試合だったと思います笑。

ひどい内容でした。華麗な技が得意な私でしたが、ケンカか?と思うような突き蹴りというよりは殴る?感じで、挙げ句の果てに力で相手を投げ崩して、やったことのないような抑えて面を突いたり、踏み蹴りしたりとなんとか勝ちを収めます。

そんな試合だっので、試合後は勝ったにも関わらず落ち込みました。

嬉しさなんて全くありませんでした。勝って当たり前、どれだけ美しく華麗に勝って周りに印象を残すかしか考えてなかった私には、あの無様な試合は汚点のなにものでもありませんでしたし、自分自身にガッカリもしました。

そうして明くる日は敬老の日だったのもあり、祖父母に会いに行く予定だったので、いい氣分転換にと行ってきました。

家族や祖父母と話してると、自分がどれだけ傲慢で慢心していたかを思い知らされます。ハッと氣づいた私は、猛省し、何度も何度も試合を頭の中でリピートさせては反省します。

でも、このことが私を覚醒させてくれました。

家族に感謝ですね。

 

慢心から反省した私は、半月と経たない内に

西日本規模で開催されるマンモス大会・龍峰杯に出場します。

私がエントリーしたのは、段外の部という茶帯主体の階級別トーナメント。そこには300名を超える選手がその階級別トーナメントに参戦します。パンフレットは8ページに渡って選手の名前がトーナメントに沿って掲載されており、トーナメントで優勝してまだベスト8という、優勝カップを手にするまでに9〜10試合に勝たないといけない過酷なトーナメントです。応援に来られた笹部師範代が、なんじゃこれ?と8ページに渡るトーナメント表を見て全日本でもこんなにおらんでと笑われるくらい、当時他に類を見ないマンモス大会でした。

そして、私の兄がセコンドについてくれていざ試合に臨みます。私の兄も同じく拳法を学び、私なんかよりも天性があると云われたものです。兄のサポートを受け、また前回の反省を肝に命じて試合に臨みました。試合の立会いでも相手をリスペクトして睨みもせず、冷静に挨拶をします。

そして試合開始。数十秒で私は日本拳法特有の直蹴りを二本決めて、勝利を収めます。自分で復活を確信できた瞬間でした。

そこから怒涛の連勝記録が始まります。

高校生、大学生、社会人が入り混じったトーナメントを勝ち上がり、トーナメントを制してベスト8まで上がります。

そこで、若かりし私はまた欲にかられます。

そう次の試合を勝てば、三位入賞でカップやメダル、表彰式に出れる!との欲望に笑。

そうして迎える準々決勝では、また自分らしい拳法ができずに最初は手こずります。でも、反省して復活した私は試合中に思い直し、盛り返してなんとか時間切れ間際に首相撲から膝蹴り一本をもぎ取って準決勝に駒を進めます。

 

そうして準決勝で戦うことになったのが、後に全国で高校生では当時あり得なかった三段を取得した二人のうちの一人、金岡高校の兼平選手です。もちろんもう一人は私ですけどね笑。私は早生まれなので三段取得時は17才と5ヶ月だったので、おそらく今でも三段取得した最年少記録だったと思います。今は知らんけど笑。このおかげで、高三時にどれだけの大学から推薦が来たかは、またのコジマン話でさせてもらいます笑。

 

日本拳法の話を書くと、つい長くなるので笑。

次回は準決勝からお話したいと思います。

今日はこのへんで〜。

 

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写真は現在開校中の格闘技クラブ・サンダクラブエムズでの練習シーン。日本拳法、散打を中心に格闘技を楽しみながら練習するクラブです。ゴールドジム表参道にて開校中です。入門希望者は連絡くださいな。ちなみに遠くに写ってる右側の指導している人が香積兄です。笑