神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法について 〜その五〜

医学的な範囲の話が多くなったので、久しぶりに日拳の話を笑。

 

前回のマンモス大会・龍峰杯の準決勝から。

準決勝は、同じ高校生の金岡高校・兼平選手。

彼の凄さは前回の記事にも書いた、後に全国で彼と私だけが高校生として参段の免状を取得した強者です。

しかし、私も準々決勝で勝ち、表彰台に乗れるとホッとしたのと笑、その勢いもあって流れは私にありました。

試合は私が圧倒的な攻めで流れを得、揚打ち・アッパーと、連撃・連打で二本先取し勝ちを収めました。数十秒ほどだったと思います。相手に何もさせずに勝てた試合でした。

 

そして、いよいよ決勝戦へと駒を進めます。

ここまで8試合戦ってきて、さすがに脚も腫れてボロボロ感はありましたが、アドレナリン出まくりの、氣合いが入ってたので全く問題せずな心持ちでした。

ちなみに日本拳法は鎧のやうな、剣道にも似た野球のキャッチャーマスクにも似た独自の鉄の面に、当時は固い胴・剣道胴と同じものを付け、手には6オンス程度の拳法グローブ・ボクシンググローブの手首のカバーがないもの、そして金的ガードの股当てを装着して実際に打ち合います。素足で鉄の面や竹の胴を思い切り蹴るのですから、氣愛で克服できても腫れるもんは腫れます笑。打たれても痛いし、打っても痛い。まぁだから、その実戦性の高さに自衛隊徒手格闘技や警察の逮捕術の原型になったり、日本拳法出身のプロ選手が多いのです。つい最近もボクシングの尾形選手が世界チャンピオンになりましたね。この実際に突く・殴る・パンチを入れるという行為が本当の間合いや、ヒットする感触・感覚などを育てて実戦性を高めます。まぁ毎回どつき合いしながら感を養っていくわけですから、キツイ激しい格闘技です。よく口だけ番長のようなできもせんのにゴチャゴチャ批評を言ってるヒマ人がいるらしいですが、実際にできんのか?って話ですわ笑笑。ホンマにできる男は黙ってサッポロビールです笑笑。

 

話は戻って決勝戦。相手は、追手門学院大学の川◯選手。彼は次年には次の階級で優勝を収めた後の強豪選手でした。

勝戦は各階級の決勝試合を行なっていきます。その時に同時に決勝戦に残っていたのが、私の日本拳法の師匠でもある高段・四段以上の部の岡田賢三選手です。ほとんどの全日本トップレベルの選手はこの高段といわれる四段以上の方が多かったですね。昔は三段以上の部だったのが、四段以上になった初めての試合だったと思います。

 

師弟で決勝戦に残れるのは、今思うと嬉しい限りでしたね。

師弟の話はまたするとして、

いよいよ決勝戦を迎え試合場に入ります。

日本拳法総合格闘技でもありますが、武道でもありますので礼節に厳しく、試合場には礼を持って入場、また相手とも礼をしてから試合開始となります。

相手は自分より大きい大学生。中学から180cmあった私ですが、ひょろ長い痩せマッチョタイプだったので、大学生のゴッツイ相手は大きく見えました。

ですが今だに覚えているのは、表彰台が決まってた私は、決勝戦に勝ちたいと強く思う欲がなく、ただこの場に居れることが嬉しく誇らしく、決勝戦は勝ち負けに拘らず悔いのないよう戦おうと思ってたので、全くリラックスして自分のやりたいような拳法ができました。

試合開始とともに見合いから自ら間合いに入ってワンツーからの槍を突き刺すような直蹴りを出して見事に入って一本取ります。この直蹴りは突き蹴りともいって、日本拳法独特の蹴りです。空手の前蹴りとは違った技です。これは実際効きますよ笑。

試合後の表彰式での話ですが、相手選手に

私の直蹴りは、得意技とわかってたから、絶対にもらうまいと警戒してたにも関わらず、もらってしまった!次回は喰らわないぞと、笑顔で健闘を称えあいながら話したのを覚えてます。

 

二本目はまた先に間合いを詰めて攻めます。

お互いの攻防の末に組合いになり、私は組んだ瞬間に首相撲から左右に振って膝蹴りを脇腹に極めて一本取り、見事勝利を収めました。

全9試合、一本も取られずに頂点に立ったのです。わずか15才の少年が!

これは自信になりました。今でもあの快挙の瞬間はよく覚えています。

何よりこの大会の段外の部は異常な人数がエントリーし(当時約300人出場)、それで優勝するということは、ある意味野球でいうその年の新人王を獲ることくらい栄誉あることでした。その証拠の一つに、歴代の優勝者は全日本でも有名なチャンピオンやトップ選手たちばかりです。

 

試合後に、あいつはどこの誰だとの声が耳に入ってきました。岡田師が弟であることを伝え、所属は北野高校だと。

その某大学の監督は、ビックリした顔つきながら、「相手は頭ですでに負けとるやん笑」と冗談を仰ってたのを今でも覚えてます。

ガリ進学校でも、強い奴はいるんだと誇りに思えたこともありました。他校の女子マネージャーが羨望の眼差しで見てた(と思う笑)のも嬉しかったな〜

と、今ではお恥ずかしいコジマン話が続きましたが、こうやって私の日本拳法人生が幕開けとなったのです。

この後に、才能開花した私は日本拳法界で様々な活躍をしていきます。

その話はまた次の機会に。

 

ちなみに優勝の表彰台は快感でした!笑笑。

優勝カップと症状、副賞に新品の道着一式とダンロップ賞?なのかスポーツバッグも貰った記憶があります。あまりにもステキすぎて使ったことはなかったですが笑。

 

また、思い出しながら書くと興奮してきて、カラダが動きたくなるので、今からまた練習でもいてきます笑。

今年ははこの辺で。

 

来年もよろしくお願いします。

 

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写真は友人の愛息にパンチを教えてるの図笑