神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法の回顧録

今日は久しぶりに前回の試合後からの続編を。

 

前回の大会の優勝のあと、昇段試合が数ヶ月後に開催されました。

私は初段の部でエントリー。

当時の昇段審査は試合のみ。

初段は2人連続で勝ち抜き、つまり勝たないと引き分けも負けと同じで初段取得とはなりません。正味勝たないと何もない競技ですし、厳しい試合です。

 と書くと、大変そうですが

私は圧倒的な強さで2人を連続で一氣に勝ち抜いて初段を取得しました。高1の冬のことでした。

これまでデビューして連勝を続けて、また一本も取られることなく連勝街道を快走してました。

 

前の試合で公級・茶帯になったばかりですぐに初段・黒帯(ブラックベルト)になってしまったので、すぐには免状がおりず次回の春の昇段審査まで公級・茶帯として試合に出れることになりました。

そして年は明けて、シーズン最初の試合となった大阪府豊中市の市民大会に出場します。ここでも、トーナメントを圧倒して優勝しました。連勝記録も続きます。

 

そうして春の昇段審査で初段の免状を取得した私は、夏の昇段審査に出場できる資格を得ます。それに出場する前に大きい大会に出場しました。

 

それが全日本社会人個人選手権大会です。これは階級別で開催されます。体重ではないですよ。体重については、所属していた拳法会は無差別で行います。春の個人大会、秋の団体戦と社会人選手権は開催されます。

私は初段の部で出場しました。

この時に戦った相手の方々が、その後全日本選手権でしのぎを削るライバルとなっていきます。例えば決勝で戦った九州の藤本選手や、洪游会の徳永選手など、大きい大会の一つでした。

 

そこでも私は優勝します。

これまた一本も取られず、連勝記録を伸ばしました。

この試合から、自分で考案して編み出した決め技・二段突きで勝ち抜けたのが自信になりました。最後の決勝戦でも、この技で藤本選手を破りました。実戦で使えると!

この大会で優勝したのは嬉しかった!

過去、有名選手が優勝していたし、大きい大会なので当時はスポンサーも多く、優勝記念品をたくさん貰いました。

サンケイ新聞はじめ、系列スポーツ新聞などにも掲載され、母が大喜びしたのを今でも覚えています。いろんな方へ自慢して話してる姿を見ると、本当に嬉しく実感しました。当時の通っていた北野高校でも新聞に掲載されたことに、同級生から賞賛を浴びました。スゲェ奴やな、ケンカ売らんでよかった〜とか笑。

優勝商品はスポンサーのダンロップ社からスポーツバッグとか、トロフィーや盾も主催の日本拳法会からや協賛のサンケイスポーツ新聞からなどたくさんいただきました。

この大会を経て、自分に自信が確信にとなっていったのを覚えています。

ただ、鼻が高くならないよう、慢心せんようにと今は思いますけどね笑。

 

その後、高校クラブに所属していない私に、道場推薦より全日本高校選手権大会に個人の部で出場することになりました。

しかし、これが私の拳法人生の最初の壁になります。

 

その話はまた今度。

今日はこの辺で。

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