神田真澄の氣ままな話

明光武道 深雪館 館主のブログ

日本拳法回顧録 2

前回の拳法人生初の壁について、話を進めていきたく思います。

意外とこの拳法回顧録は皆さん楽しみにしてくださってるみたいで、嬉しい限りです。

私にとっても、5歳からの武道人生歴史を簡単にではありますが、辿る機会にもなりますので、楽しんで書いてます。

 

前回の全国大会から壁にぶち当たった私は、その後にある、9月の昇段試合・二段戦にエントリーします。道場所属なので、学生クラブほど試合数がなかった私は、夏はバイトと勉強と練習に明け暮れます。そうして出場した試合。もちろん前回遅刻して逃した、勝利が確実視されてた二段戦です。

今度はキチンと勝とうと思って試合に臨みます。

二段戦も、同時に二人抜きが完成しない限り昇段できません。二連続で勝つしかないのです。

もちろん同じ初段の者が次々と出てきます。

なんだ二人かって思う方もいるかもしれませんが、約10kg近い防具をつけて、パンチ、キック、投げ、寝技などをフルに駆使して実際に殴り合って戦う中では二人連続抜くのは大変ではあるのです。まだ16才で社会人中心の人たちと戦ってましたから。

話戻って、自分の試合の番が来ました。今回の相手はバリバリの大学生でした。大学名までは覚えてないです笑。お互い一人目で、ぴちぴちで試合開始。いつもの私らしくフットワークで間合いを取りながら、手足の長い突き、そして得意の直蹴り(空手の前蹴りとは全く違う、日拳独特の槍のように突き刺す蹴り)で二本選手して勝ちを修めます。ただ、試合途中は当時寝技がキライだった私は、寝技に持っていかれないように試合を運んでましたが、やはりそこは体力旺盛な大学生、力に任せてくっついてきては投げよう、押し倒そうとしてきます。重い防具をしながら、寝技をする、それを避けるための体勢をとるなどはどれだけ体力を消耗するかは、実際やったことある人しかわからないシンドさです。

最近では、あのキックボクシングの神童といわれてる那須川天心選手が、この日本拳法を出稽古で体験されたみたいですね。そこからも、難しさは伝わるかと思います。でも、そのシーンを見ましたが、やっぱりあの選手は天才ですね!応援したくなる選手です。

日本拳法は昭和初期からある総合格闘技のパイオニアで、ケンカ拳法とも謳われた実戦性の高い武道でしたから、だから自衛隊や警察にも取り入れられた歴史があります。

 

再び話戻って、一人抜いたはいいが、かなりの体力を消耗した私は、不覚にも二人目で決め手を欠いて引き分け、二段取得とはなりませんでした。二段確実といわれていた私には、まだどこかに奢りがあったのかもしれません。それを自分のプライドとして奮い立たせていた部分も、ありますが、あの連勝記録はどこえやら、すっかり自信を落としました。

 

その後、以前優勝したマンモス大会である龍峰杯で名誉挽回としたかったのですが、一応超進学校に通っていたのもあり、中間試験と重なっていたので、出場を諦めることになり、次月に開催の道場の全日本となる団体戦、全日本社会人選手権大会に所属道場から出場することとなります。

まぁ、いい氣分転換と思おうとしましたが、試験勉強なぞ手につくはずもなく、頭の中は拳法の試合のシュミレーションばかり考えてました。正直、なぜあの完璧に決めた突き・変則的な二段付きストレートですが一本取ってくれなかったのか、あの審判はヘタレかとかいろいろ考えてしまいます。審判員の大先輩すいません笑。あれが一本だったらとかね。でも、負けは負け。誰もが唸る一本を取れなかったのは私です。もちろんその原因も、認めたくはないけども奢りからです。無意識のうちに練習も手を抜いた状態になってたのかもしれません。そんなことを試験勉強しながら瞑想、妄想?笑のごとくずっと考えてました。

勉強せーよ!って感じやね笑。

もちろん試験は何個か赤点ついたのを覚えます笑。まぁ、北野高校の定期試験って難しいから笑

と、自己擁護しときます。

 

結果はさておき、試験が終わった私は不死鳥のごとく拳法の練習を再開します。まぁ、家族との約束で学問と武道は両立させるなら拳法を続けていいという契約笑でしたから、でないとなんのために北野に入ったって説教が数日続いてしまいますんで、高校生なりに必死のパッチですよ。

 

まずは、先程書いた全日本社会人団体戦

当時所属していた仏光振武会から出場します。

これはあまりはっきり覚えてないんですが、

当時、私は初段として出場します。

本来、団体戦は二部構成で、一部が二段以上、二部が公級・茶帯から初段までとされてますが、有段であれば一部にも出場は認められてました。

私が当時、総本部道場の洪游会から転属した仏光振武会道場はそんなに大きい道場ではなかったので、まだ人数もそんなに多くなく、したがって一部に1チームのみ出場します。

でも、仏光振武会は新しい道場でしたが、道場長・平先生の人柄が惹きつけるのか、名師範・近藤先生が教えてられるのか、後には所属する道場生はすごい面子てした。

まずは伝説の拳法家・岡田義兄が指導に来ること、その関係で甲南大生も出稽古に来る、そして学生拳法会では名前をはせた、学生個人準優勝、中部チャンピオンなど実績多数の笹部さん、その後輩で関東が地盤の第2の団体である日本拳法協会で数回制された実績多数の、全日本中量級チャンピオンの竹内さん、今私の道場で師範代を務める全日本社会人壮年の部準優勝の香積さん、また同じ道場グループで格闘技道場のサンダクラブエムズで指導員をしている、全日本シュートボクシング重量級の準優勝で同期の在里など、後には私の後輩の高野山大主将の小松などちょっと忘れてしまった諸先輩方は敬称略で失礼しますが、錚々たるメンバーでした。

後には全日本社会人団体戦で全国3位、4位、ベスト8など成績を修めます。4位の時は私は三段で主力でした笑。

 

ただ、なぜかその団体戦の日は、皆さんの都合がつかなかったと記憶してますが?定かでない笑、私と在里と名前忘れてしまった元レスラーで三段の先輩(ごめんなさい)との三人で戦ったのを覚えてます。

ここで団体戦のルールを話しておきます。

団体戦は各道場五人選出して、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将と順に戦っていきます。

昔は一人で何人でも抜いたり、今でも全部学生団体戦はそのルールだったと思いますが、私の時代は社会人団体戦は順に戦って勝者数の多い方が勝利となるルールでした。

 

だから、その試合の時は、我々はすでに二人不戦勝で負けているので、三人が全勝しないと勝ち進めません。

そして試合は、全敗でした。

相手は国士舘大学OBで、先程の関東が地盤の協会から出場してたのもあり、全員が重量級の選手で、同期の在里と、あいつらヤクザか?と笑いながら準備してたのを、今でも酔ったときに話してます。あの時はわろたな〜って笑。

 

ちなみに私も在里も、当時は身体こそお互い180cmを超えてましたが、いかんせん細くて65kg位もない体重でした。

 

そんなひょろ高い高校生初段がが国士舘大学バリバリのOB三段や四段と戦えるはずもなく、余裕で負けましたね。

俺も在里も、舐められたようになげられました。俺も在里も宙に浮いてるんちゃう?ってくらい投げられてたんちやわうかったかな〜笑。

だから後にリベンジするまで、国士舘の名前は忘れませんでしたけどね笑。

 

それで負けグセではないけども、勝負に対して何かがキレた感じも、今になったら感じます。

そんな時を経て年末の昇段試合に準備します。

 

今日はこの辺で。

 

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写真は明光武道 深雪會グループのサンダクラブエムズでの練習風景。赤いグローブが先に書いた同期で指導員の在里、黒がうちのエースの仲田。仲田は全日本シュートボクシング軽量級で3位になり、プロ選考にかかった実績を持つイケメンです笑。