神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法回顧録9 〜天王山の三段戦〜

前回の続きから。

 

受験生にとっての天王山である夏休みを、拳法修行に打ち込んだ私は、当時としてはこれまでで一番充実した練習ができたと実感がありました。それゆえ勝利の確信ともいえる自信がみなぎってたのです。

 

ただ、挑戦するのは実質日本一となる高校生三段の取得。そこは緊張しないとは言えません。

毎日イメージトレーニングで勝利をビジョンに持ち、練習をやり切る毎日を継続してきました。

ちなみに、ロッキーのテーマがモチベーションの一つだった私は、ロッキーからロッキー4までの音楽をオリジナルに燃える曲順に作って、かけまくってました笑。

 

そうして、試合一週間前を迎えます。

絶好調だった私は、最終週の練習でも、本取り模擬試合でも勝ちを収めます。

ただ、調子がよすぎたのか、試練なのか、またもや最期の自由組手(スパーリング)で怪我を負ってしまいます。今度は利き足の大腿部を相手は膝蹴りが事故的に入ってしまい、腫れ上がってしまったのです。

またか!

頭の中を嫌な予感が巡ります。

私の得意技は、右突き(右ストレート)と両足の蹴り技(直蹴りや回し蹴り)だったので、これは羽をもがれたように感じたのでした。

 

ても、今回は落ち着いてました。

これもまた一興。やるだけやったから、とことんやりましょうってね!

家に伝わる独特の代替療法の湿布を使い、患部を急激に治療しました。

 

そして、迎えた試合当日。

痛みは消えてはなかったですが、さらには青く腫れてもきましたが、それ以上に心が燃えてたので、アドレナリンよろしく痛みは氣にしなかったです。

朝の儀式的な瞑想をして、試合会場へ重い防具をさげて向かいます。

 

試合会場は、日本拳法会全体の昇段試合なので、下は中高生から上は社会人一般まで様々な人たちがごった返しで、貼り出されてある自分の目指す段の試合表を見て、自分の名前や対戦相手の予想をチェックしてます。

 

私も例に漏れずに、チェックしにいくと、どうやら相手は、高校生、大学生、社会人とどの人たちも当たる可能性のある順番。なんか不利とかとも思わず、高校の集大成として相応しいやん!と思って、試合準備を始めます。

 

開会式が始まり、各段の試合がそれぞれのコートで開始します。

 

というのも元々、日本拳法は最初の当時はリングの上で一試合ずつ試合が開催されてました。会員人口が増えて、試合会場は試合コートがたくさん取れる大きい体育館へと変わっていきます。私の時代は、前半は体育館のフローリングの上で試合が開催されてました。その硬いフローリングの上に、投げつけられたり、寝技の攻防をするわけで、試合後は打ち身、青タン、生傷だらけでしたね笑。

現在は、設備も進み、安全志向も考慮されて畳上やウレタン畳などの試合コートで開催されるようになりました。

私が18歳から出場した全日本選手権などは、元々その仕様でしたが、その他の大会の全試合でそのコート仕様で開催されるようになったのは、私が拳法を引退する少し前くらいからだった思います。

 

話戻って、私はウォーミングアップからゲンを担いで、仕上げていきます。

そして、試合進行をチェックしながら防具を装着して、試合の順番を待ちます。

心臓の鼓動が聞こえてきながら、自分が勝つイメージのみを想って、試合場を見つめます。

 

そして、いよいよ呼び出し。

氣合い一番、試合に臨みます。

続く〜笑

 

今日はこの辺で。

 

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写真は上段回し蹴り(面蹴り)が極まったシーン。俺の得意技の一つでした。