神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

道 〜映画「日日是好日」より〜

いきなりですが、私は映画が大好きです。

時間に隙あらば、映画を観に行ったり、Amazonprimeなどで色々な作品を見たりしてるくらい好きです。

ホラーの類は観ませんが、その他のジャンルは大体観てます。

 

それで、今回は映画の話として

最近で非常によかった映画の一つ・日日是好日を観た感想を語りたく思います笑。

 

この映画は、茶道を通してある女子大生が自分の生きる道の意義を探していく過程を、非常に心地よい流れの映像になってます。樹木希林さんの生前最後の作品なのかな?なんともいい味で、夢中になりあっという間に終了してしまいました。

 

そんな映画の中の茶道のお稽古シーンで、武道家の私にも同じく通ずる言葉が出てきます。

茶道を初めて学ぶ女子大生たちが、稽古の作法や所作について、頭で理解しようと質問をし続ける。

すると、茶道師範の樹木希林さんは言う。「意味なんてわからなくていいの。お茶はまず形から。何回も繰り返してカラダでまず覚えるの。そうして先に形をつくっておいて、その入れ物に後から心が入るものなのよ。」それに対して生徒が「それって形式主義じゃないですか?」との反論。先生は「なんでも頭で考えるから、そう思うのねえ」と受け流すシーン。

これは武道でも同じこと。

例えば氣を学ぶにあたっては、現代の大方の人たちはすぐ精神的なメソッドや理論ばかりに目を向けます。

が、違う❗️と。まずはその氣を宿せるだけの入れ物、つまり身体を創りあげないと心身のバランスが崩壊するのです。心身一如という東洋医学の言葉があり、古神道では霊体一致という言葉があるように、ここをわかる人が少ない。どうも現代人の多くは理論を勉強して、頭でわかってるつもりが実際はその経験もなく、いざとなったら何もできないというようなことが多い。

だからこそ、形である経験が必要なのです。

たからこそ、私は武道を通して実践を通して氣を伝えてるのです。暗示的、オカルト的な催眠術の類の摩訶不思議なものとは敢えて一線引いて、武道のリアルな氣を感じること、そしてその延長線上に氣のいろいろな可能性があること、まず最初に諒解できるように。このことは、また別の時にでも語ります笑。

 

こんな意義深いシーンもありました。

「世の中にはすぐわかるものと、すぐわからないものとがある。すぐにわからないものは、長い時間をかけて、少しずつ氣づいてわかってくる。」と。

今の世の中は、西洋科学的な、理論的な枠に囚われて、すぐに結果を欲しがる。その過程の重要さや学びの重要さもわからず、理論・理屈だけを吐く。意義ある過程があるから重厚な結果を産み出すことを、心身的にわかってない。肚からわかってない。

これでは、ものごとの真はなかなかわからない。

 

茶道にしても、武道にしても、その他華道など道とつく、日本の伝統は、極は同根なのだ。

と改めて感じた映画でした。私にとってはね。

 

また、私的なことですが

母が裏千家の茶道師範だったのもあり、樹木希林さんの振る舞いが、まるで生前の母を見ているようで、最初から涙ぐみながら微笑ましく観てました笑。懐かしい香りがする、本当に心地いい流れの日本映画でした。こういういい映画がもっと増えればいいのに。くっだらんホラー映画やなんの意味もない暴力的な映画なんか作る時間や金があるなら笑。あ、カメラを止めるなは、ホラーでなくて、コメディ映画で面白かったですけどね笑。

映画は、その意義やフィルターを通すことをわかって敢えて観るには、非常に勉強になること、自分の携わる世界以外のことや、心を豊かにする時間と私は思ってます。まぁ、早い話がシンプルに映画が好きなんですわ笑。

 

今日はこの辺で。

 

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