神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

氣について 〜武道の観点から〜

今回は、内海医師が主催している、本当の日本を取り戻すメール新聞に掲載された記事を載せようと思います。まだ、読んでらっしゃらない方など、是非ご一読くださいな。

これは第一回目の投稿のもので、氣についてのものです。

 

 

■■■本当の日本を取り戻すメール新聞■■■
~あの人に聞きたい業界の舞台裏と対策~

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『本当の日本を取り戻すメール新聞~
あの人に聞きたい業界の舞台裏と対策~』
の第113回目の配信です。

このメルマガは昨年2016年3月26日に
日本再生プロジェクトの活動の一環として、
日本一悪名高き医者のうつみんこと内海 聡と、
うつみんが信頼する各業界の識者の方々にご寄稿いただき、
識者の方々の知っている業界を中心に、
その舞台裏と、日本をよくするためにはどうすればいいか?
どうすれば本当の日本を取り戻せるのか?
を語っていただくためにスタートいたしました。
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今回のご寄稿は
道家代替療法家の神田真澄さんです。

 

内海のFBアカウントが自民党総裁選終了直後に
また停止となりました。
今後の勉強会情報も載せておりますので、
最期まで目を通してみてください。

よろしくお願いいたします。


■神田真澄■
明光武道 深雪會グループ代表 宗師範
食制体型研究所 主幹
明光武道 深雪館 主宰
Qigong Fitness Studio/Sanda Club Mz 宗師範

 


◇氣について考える◇

 

こんにちは。
私は武道家代替療法家として活動しております
神田真澄と申します。

明光武道(めいこうぶどう)という、
古の日本に存在した氣の考え方や文化、
そして武道を現代に再興すべく、
幼少より学んだ武道、古神道、伝統医療を通し、
日本武道と東洋武術史大成した拳法と称された意拳
また日本古来から伝わる
大宇宙・大自然の摂理である古神道
そして伝統医療の考えから、
それぞれの核を集大成して創案した、
古に在った最も古くて、
そして現代に改めて再興する
新しい、氣の武道を伝えております。


以下の明光武道 深雪會グループを主宰して、
明光武道の氣のメソッドを
様々な形で伝承しながら活動しております。
どうぞよろしくお願いいたします。


・明光武道 深雪館 (めいこうぶどう みゆきかん)
http://miyukikan.com

・Qigong Fitness Studio チーゴン(氣功)フィットネススタジオ
http://qi-fitness.com

・SANDA CLUB Mz  サンダクラブエムズ(実践武道・格闘技道場)
http://sanda-club.com

・食制整体研究所 (代替療法による瞑想断食・食養運動合宿道場)
http://miyukikan.com/free/doujyousei

・著書「立つだけ!医者いらずの太もも力」 (運動、瞑想、正食の健康本)
https://amzn.asia/d/aMEq6at


まずは、氣について
どなたでも読みやすいよう簡略的にお話をしてから、
今回のテーマである瞑想について
少しお話していきたく思います。

皆さんは氣については、
どのような考えをお持ちでしょうか。

「怪しい」
「魔術」
「トリック」または
「暗示」
「催眠術」
などが頭に浮かんでくるのが、
現代科学やエビデンスを基に
考えることを植え付けられた(教育された)
現代人の一般的な感想ではないでしょうか。

もちろん、この新聞の読者の皆さんは
そうでないとは思っています。

事実、現代の氣についての事情は
まだまだ現代社会には浸透していないのが現状です。

またそのような状況を
今まで作り出してきた怪しい団体や、
いわゆる気功師、催眠術師や宗教教祖らが
多かったこともあるでしょう。
氣について現代人が真剣に向き合おうとしても、
それ避けてしまう状況下にあったと思います。
正直私自身も、元々5歳から
武道(日本拳法・総合武道で、自衛隊徒手格闘技や警察の逮捕術の原型となった実戦格闘技。プロ格闘家の出身者も多い激しい武道)を学んだ者として
氣は信じていなかった一人です。
もうちょっとツッこんで言うと、
武道を学んでいる以上、
氣の存在は信じたいが、
実戦の世界で戦ってきた私としては
それを実際に、リアルに使えたり、
感じることができないのであれば
それは師弟間などの暗示だと思っていましたし、
現実には理想形としてのみ残っている
と思っていたと言った方が正しいかもしれません。
実際、何人かの
いわゆる気功師の人とも交流しましたが、
何も起こりませんでしたし、
怪しさ満点だった経験も
それを確信させた要因でもあります。
 
ということで、今回は
”武道”という観点から
氣を考察してみたいと思います。

少し歴史に目を向けてみましょう。
日本では古来より
江戸時代頃までは氣の考え方や文化、
そして特に武道では、
氣の使い手である
達人(武道家)が存在していました。
例えば江戸時代の剣豪の一人で
柳生石舟斎もその一人です。

彼は、新陰流(兵法、剣術、武術)の開祖で
江戸幕府に指南役として
仕えて欲しいと請われたほどの人物。
かの徳川家康が自ら挑戦し、
真剣を手に試合を行いますが、
石舟斎は無手(素手)で立合い、
そのまま相手を制してしまいます。
これが世にいう「無刀取り」
と云われているものです。

まさしく、相手の氣を先に感じ取り、
太刀筋を見切って、
相手を制することで勝負を決っしたのです。

これは合氣武道(合氣道)の開祖・植芝盛平翁の、
戦場で鉄砲の玉(実弾)を避けた話にもつながります。
鉄砲の発射される間際に閃光が感じ取られ、
それを避けることで
実際には玉(実弾)を避ける事に繋がった
との実話があります。
この例をあげた達人たちは
まさしく氣を実際に使っていたといえるでしょう。
科学的には実証できない事象ですがね。
そもそも捏造の多い
科学的実験結果(データ)やエビデンス
どれだけの信憑性があるかも疑問ですが、
その話はまた別の機会に。
 
そんな達人たちがまだ存在した江戸時代から、
明治時代に移る歴史背景時に氣の考えは
意図的に廃れさせられていきます。
皆さんもよくご存知の
明治維新から起こる「文明開化」の運動です。

欧米より便利な科学文明が入ることと引き換えに、
日本、東洋独自の氣の文化は廃れていきます。
科学的に考えられないことは、
野蛮でまやかしと洗脳されていくのです。

さらには昭和に入って戦後GHQの介入により、
日本人には完全に氣の考え方を
取られてしまう教育を受けます。
身体の動かし方一つとっても、
西洋体育を強制的に学ばせられ、
日本独自の正中線を軸とした
身体の動き(和の操体法)を変えられてしまう
などの背景があります。
もちろん諸説ありますし文字数制限もあるので、
簡略に概論として書いています。
興味ある方はご自身で調べてもらったら、
面白いと思います。

そんな背景下、
現代では氣の考え方は前述の通り、
存在しないもの、
架空の考え、
科学的に存在しえないもの
となってしまいました。

怪しいものや団体も
意図的に増えていったのも助長し、
現代人の心から氣の存在はなくなっていったのです。
こうして本来存在した
日本古来の正しい氣の文化は
完全に廃れていった歴史的背景が存在します。

ではそもそも氣とは何か。
なかなか根本的に考える機会がなかったのではと思います。

改めて考えてみましょう。

確かに実際見えるものでもないですし、
いまだ現代科学では完全には実証されてません。

オーラが見えるとかいう
特殊な力の方もいらっしゃるようですが、
そういうオカルトティックの類は今回は横に置いといて、
見ることができないから、
科学的に実証できないから
氣は存在しないと考えてしまうのは
少し短絡的で浅はかではと思います。

科学という誰か(彼ら・支配層の人間たち)
が決めた小さい枠の中に入らないと、
それは虚偽、存在しないと考えることは、
今まで彼らに洗脳され続けてきた、
それこそ”科学教”の信者ではとも思います。
 
例えば幼い頃に、腹痛で苦しんでいた時に、
母親の手で撫でてもらうと
不思議と痛みが和らいだ経験はないですか。
それは安心感から副交感神経が優位にたった結果、
痛みが和らいだという声も聞こえそうですが、
それも含めて母親の愛情が氣というエネルギーとして
痛みのある邪氣エネルギーを追い出し、
癒したとも考えられます。

かの野球で有名な長嶋茂男氏が手にデッドボールを受け、
指がちぎれそうになったときに、
その指を抑えながら
「ちぎれるな!くっつけ!」
と強く念じたことで、
その後奇跡的に指は欠損せずに済んだ
との話があったと聞きます。

意念、想念は東洋武術ではほぼ同じ意味で
「氣」=「意念・想念」
と考えることから、
これは肉体は滅びかけても、
それを結ぶ氣の力で肉体を繋げ、
再生させたとも考えれる事実の一つです。

身近な例で話を進めてみましょう。

人が身体を動かす際、手を動かそうとした時は、
まず自分の心の意志で「手を動かす」と念じ、
そのエネルギーが心の中で
「言葉」となって現実の力となり、
その結果実際に手が動きます。

そう、心(魂)と身体(肉体)を結ぶのが
氣(意志想念の言葉)なのです。

言葉は氣であり、力の源なのです。

この大宇宙の森羅万象も、
大自然の生成化育も同様、
大宇宙、大自然の意志が力となり
日々動き続けているのです。

この源こそが神であると私は思うのです。

そもそも日本では氣の言葉は、
今でもあらゆる箇所に使うことがみられます。
空氣、電氣、氣合、氣があう、氣がのらない、
やる氣、根氣、氣が重いなど
挙げればきりがありません。
氣の存在を信じていない、
否定している現代人がどういう感覚で
この氣の字を含む言葉を使っているのでしょう。

元々日本には、
意図的に氣の文化を廃れさせられようとも、
日本人の遺伝子には
その文化がしっかりと受け継げられてきたのです。
それがこれらの氣の言葉の使用ともいえます。

日本では古来より
氣とは密接な環境下にいたのです。
ゆえに何も考えずに自然にこれらの言葉を話し、
その意味を感覚的に把握した上で使ってきたのです。

氣は明光武道では、
人が持つ根源的な力・生命エネルギーと考えます。

もう少し深く考えると、
この大宇宙、大自然に与えられた
人が持つ地力と考えています。

氣は目ではみることはできないですが、
いろいろな形で捉えることはできます。
目には見えないけども、
感じることはできるのです。

人がもつ感覚力、直感を持って
確かに感じることができます。

(ここで注意喚起しておきたいのが、氣を感じたいゆえに、自分に自己暗示をかけて感じていると思い込むことや、氣を感じないといけないような雰囲氣を作り出して行う団体・空間に身を置くことなどです。これは一種の宗教団体的な行為であり、催眠、暗示であって氣とは違います。少なくとも武道としては、敢えてリアルに感じてもらうためにそういった空間で行うことは氣とは考えません。そんな”勘違い”がおかしな氣の考えに向かってしまうのです。正しい氣を伝える意味では、本当に邪魔な行為でいい迷惑ですね。)

東洋医学の考えからでは、
氣はないと死んでることになります。
人は生きている限り
氣は人体の経絡上を巡っていると考えます。

つまり生命エネルギーが活動しているということです。
 
また一方で、
西洋科学では認められていないはずの氣は、
実は様々な形で研究されているのが実情です。
読者の皆さんでしたら例えば
「量子物理学」「波動」などの
言葉を聞いたことあるのではないでしょうか。
これも大意では氣です。

そんな中でもよく研究されているのが「瞑想」です。

字数の関係上、少し強引に瞑想へ繋げていきますねw。

 

次回につづく。

長かったでしょう笑。

字数制限がありまして。

次回につづきを載せますね。

 

今日はこの辺で。

 

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写真は古神道では、宇宙の主神なる神素戔嗚大神がおられる霊国・お月様。