神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

節分のお話 〜オニも内、福も内〜

新春明けましておめでとうございます。

 

今日は、古の神道で、こんな節分に関する話があります。簡略に書くと、

国祖・国常立大神は元来この地球を治める大神様。

その優しくも規律正しく厳しくもある政に、反発する悪神どもらは、悪計略をもって国祖を無理矢理引退に追い込み、艮の方角へ押し込めました。そして、二度と出て来れないようこの世にさまざまな呪詛をかけて、その一つに炒り豆から芽がでてくるまでという不可能なことをかけて押し込めたという、そうして世は暗黒に陥っていった話があります。

まさに今の世の中のありさまですね。

そのことから艮の鬼門大金神ともいわれる国常立大神様。

引退された御身でありながらも、京都の険しい海にある沓島・冠島にて、陰から神となり仏となりいろいろな形と変化れてさえ、この現界を守護してくださった国祖。

今の節分で鬼は外福は内〜は、呪詛の一つ。本来、鬼とされるのは、実は国祖のことであり、だから古の神道ではオニも内、福も内と唱えます。

一度、節分をキッカケに日本の本当の歴史を調べてみてはいかがですか?

 

以下の文章は、非常にわかりやすいオニの話だと思います。お借りしましたのでどうぞ一読ください。

本当の日本を知ることは、日本人として当然のこと。くだらん、造られた知識や洗脳に鼻高勘違いな人間になるのはいい加減見直して、惑わされずに、肚で読んで、軸を持って直感で判断しないとね!

 

以下転載

 

むか~し、むか~し。そのむかし。

この日の元の国を治めていたのは、決して争いはしないと、代々誓い続けてきた一族の長を中心とした。

まさに、和を以て貴しとなす。そんな一族たちでした。

 


そこへ、南の方からやってきた一族が、この島を俺たちに譲れ

さもなければ、血を見ることになるぞ!と脅したのです。

 


実は、日の元の国を治めていた一族も、南の方からやって来た一族も、同じ血を引く同族でしたが、南へ降った一族が、俺たちも同じ血族なのだから、俺たちにもこの国を治める権利があると言いはばかるのです。

 


話し合いで収まるような相手でもなく、この日の元の国を治めていた一族は、政権交代を受け入れたのでした。

決して争いはしない誓い、相手の血も、自分たちの血も流すことのない苦渋の決断。それしか無かったのです。

 


ただ、いつの日か、この国をもう一度わたしたちに返してくれるようにと頼みました。南からやって来た一族は承諾しました。

 


そして、いつになったら返してくれるか?と問えば、炒り豆から芽が出た時にと答えたのです。

 


炒った豆から、芽が出る筈もないのです。

 


それから、元々この国を治めていた一族は、日の陰、山の陰、森の奥へと追いやられ、いつの日か彼らは「鬼」と呼ばれるようになりました。

 


それから毎年、年の節目になると・・・

 


 「鬼は外、福は内」と叫んでは、「ほーれ、まだ炒り豆からは芽が出ていないぞ。お前たちの番はまだだぞ」と、鬼たちに炒り豆をぶつけて追い出すのでした。

 


なぜ、節目の節分に行うのかと言えば、新しい節目は流れが変わりやすいからです。なので、流れが変わらないようにと、この日に鬼を追い出します。

 


そういった事を知っている鬼に纏わる一族や地域は現存しており、この時期になると 「鬼も内、福も内」と叫ぶのです。

 


しかし、全国の日本人のほとんどはそんな事を知らないので「鬼は外」と叫びます。

凄い事なのです。日本中のほとんどがその言霊を発するのですから、まさにそれは、呪術なのです。

 


そろそろ、争いよりも、和を以て貴しとなす一族に、この日の元の国を返してもらっていい頃だと思います。

 


我が家では毎年「鬼も内 福も内」と叫んでいます。

 

鬼も福も、みんな仲良しが一番いいのです。

 

〜舩橋 ひとはなさんの記事より〜

 

わかりやすいお話ですね。

もちろん私も節分大祭の後には道場でオニも内〜、福も内〜と唱えながら豆まきさせていただきました。

 

いよいよこの国祖・艮の金神国常立尊が表に現れて善と悪とを立て分ける立替立て直しの時期がやってきます。昨今の情勢見てても感じますね。

これから腹帯を締め直して、しっかりと軸を持って悔いなく行動して生きていきましょう!

 

本年もよろしくお願いします。

 

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道場の神床にて節分大祭。

人型大祓神事も遥拝祭として執行しました。

祈りって、神官などのいわゆる専門家の人に任せて、お賽銭と簡単にお願いして、後は放ったらかしで終わってませんか?いったい誰の願い?

それは病をクソ医者に任せっぱなしで盲目に信じてるのと同じこと。それが今のコロナの始末。

節分も同じこと。恵方巻を食う行事なのではなく、大難を小難に小難を無難にと祈る節分というお歌があるように、自ら手を合わせて祝詞(言霊・善言美詞)を奏上しながら、一年の無事を、そして世界平和を祈願する日なのです。一年の歳の差であり、新たな春を迎える日なのです。

現代人はくだらん既成宗教に騙されず、一度キチンと宇宙の摂理として、神様について学ぶ時がきたのでは?そんな自己都合のよいもんではないですよ!