神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法回顧録4 〜全国高校日本拳法個人選手権大会前編〜

意外に人気の日本拳法話。

好評にお応えして、青春編も終わりに近づいてますが書きたいと思います。

 

17才の春に、やっと壁を乗り越えて二段を取得した私は、当時の規定で次の昇段試合は出れなかったので、なんといっても受験生でもあり勉学に勤しみます。

まぁ、頭の中は拳法のことと、好きな女の子のことが殆どを占めて、勉強のことなんか数パーセントしかしかなかったんですがね笑。

 

その頃から将来の夢が二つありました。

一つはこのまま武道で生きて行きたい、例えば植芝盛平翁みたいにと憧れを持ちます。

でも現実的にはもう一つの夢であった医学への道を志します。まぁ、いろいろな理由が絡んでの夢ですので、やはりどこかに綻びがあるのも事実だったなぁと今になると思います。

 

私の家は元々東洋医学の考えが主流で、医者に行かなかった背景があります。予防注射も小学二年生から一回も受けてません。でもインフルエンザや日本脳炎などにも掛かった記憶などなありませんね。そもそも母をはじめ家族がその当時から現代・西洋医学には否定的な考えを持ってましたし、医療利権の裏事実も知ってたので基本的に食、漢方、運動等で病気にならない!という家庭環境でした。

 

そんな中で、医者になりたいっていうのは読者の皆さんからしたら矛盾ですよね笑。だから、医者になりたいのではなく、医師免許を取って東洋医学的な医療活動を自由にしたかったのが本当のところです。例えば甲田善紀医師のような西洋医学の医師なのに断食と食養で治療にあたるような。さらにその一環として食の重要性から口腔学にも興味を持ち、最終的に歯学部志望となっていった経緯がありました。まぁ、今となっては東洋医学代替療法を学んで結局のところ代替療法家として東洋・伝統医学活動してますし、また武道家としても、と、ともに活動してますから武医同根の根幹として、ある意味今ではdoubleで夢が叶ったとも言えますね笑。

 

医・歯学部受験、そして準備から入学して卒業まで、さらには卒業してからも莫大なお金がかかります。決して裕福ではない母子家庭の我が家では、非常に厳しい現状でしたし、個人的にも大学まで生涯公立だった私にはバイト生活などが必須となります。いろいろバイトしたな〜笑。

一番美味しいバイトはやっぱり家庭教師や塾講師やったかな〜。でも思い出すだけでも本屋や花博のスタッフも楽しかったし、ビアガーデンでは終了後にたらふく飲めたし、最初の新聞配達や流通センターの荷物運びなんかもキツかったけど思い出すな〜笑。そうそう最後にやったモデル事務所での仕事も面白かったし笑。

って、なんか拳法とかけ離れた話になってしまった笑。どうしても、買いてるといろいろ思い出してくるのでね。

この話はまたすべき時にでも。

 

ということで話戻して、記憶が定かでないのですが二段になって出場したのは全日本社会人選手権大会の個人戦の二段の部と、高校生最後のリベンジでもある全国高校選手権大会です。

三年生の私は、今までの優勝実績から高校クラブ所属ではなくとも優勝候補の一角として数えられ、シード出場で試合を迎えます。

 

やはり高校生だったので、全国大会優勝は目にチラつきますし、クラブでなくとも終業式で全校生徒の前で表彰してもらえる可能性も高かったのとで、断然全国大会に照準を合わせます。

当時の好きな女の子を試合に呼ぼうか〜なんてナメタ考えも持ちながら笑。

ただ、全国大会の日程は、母校の文化祭の日でもあったので、試合に呼ぶのは諦めましたけどね笑。北野高校は大阪の超進学校だったので、(なんか今聴くと、全国で3番目の偏差値76❗️らしい)学生行事なんかよりも受験を主眼に置くために文化祭をサッサと変な季節の6月に終えてしまいます。ツマンない高校ですよ。まぁ、今思うとそれでもそれなりに楽しんでましたけど笑。

 

さて、全国大会を前に練習に精を出していた私は、順調に仕上げていき、優勝も目に入ってきたましたし、何より心身充実して自信に漲ってました。そんな流れの時、試合一週間前のスパーリング・自由組手・乱稽古で、精を出し過ぎて大きい怪我をしてしまいます。大事な利き腕である右腕の靭帯を痛め、実際には一部損傷してしまい、握ることがやっとで、パンチなんて出せる状態ではなくなってしまったのです。

この時は今でも覚えてますが、目の前が真っ暗になって途方に暮れた記憶が強烈に残ってます。

どないすんねん!って。

 

今日はこの辺で。

 

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スパーリングの様子。

空手なら自由組手とも、日本拳法では乱稽古とも中国武術では散打ともいいますね。

うちでは防具・プロテクターを個々でしっかり付けて行うので、安全かつ実戦性の高い練習ができるのが、日本拳法はじめ当サンダクラブエムズの練習体系です。ルールの類似したシュートボクシングK-1にも参戦しています。