今日は瞑想のお話です。
今回は脳科学からの記事てす。
瞑想によって、短期的には、エネルギーの浪費を防ぐとともに、長期的には、種々の役割を担っている脳の各部位の構造を変化させていくことによって、瞑想は様々な恩恵をもたらしているのでは、と脳科学は説明しています。
もちろん、脳の構造や機能が完全には解明されていないのと同様に、瞑想によるメカニズムも完全に説明されているわけでありません。しかしながら、今後も脳科学からのアプローチは積極的に行われていくことになるでしょう。
参考文献
1. ↑ Jon Kabat-Zinn.「Wherever You Go,There You Are:Mindfulness Meditation in Everyday Life」New York:Hyperion,1994
前にも話した通り、私自身はあまり脳科学などは眉唾と思ってますし、これらのエビデンスは瞑想の副次的な効果と思っています。
ここでエビデンスを引用してるのは、あくまでブログ用の一般論としてにすぎません。
当道場の瞑想・禅で核としているのは
肚の鍛錬、臍下丹田の直接的な鍛錬を主とします。それは日本古来の氣の考えであり、
そして、人と大自然とがつながる大事な時間なのです。
日本人には、古より大宇宙、大自然を、神として畏敬し、またその下で宇宙・森羅万象の法則に則り大自然と共存し、秩序を守り力強く生きていた背景があります。
つまり現代の怪しい既成宗教の考えとは全く異なり、仏教伝来以前の古から国教であった神道は大宇宙・大自然の摂理であり、
日本では古来より素直にその恩恵への感謝の意から手を合わせ、神に祈る姿があったのです。
これは神、すなわち大宇宙、大自然と繋がる時間であり、究極の瞑想ともいえるでしょう。
その元で、自分と向き合い、そして見直し、そして閃き、開眼していく。
内省し、自らを正し、そして自分を知り、自分軸を確立して生きていく。その力が地球の一つの力となり、時代が前に進んでいく。
私が伝えたい瞑想は、上に書いたことが瞑想の大事な意義と確信しています。
少なくとも、当道場で伝えている明光武道式瞑想である鎮坐はそれを核として行うのです。
その過程を経て、得られる副次的な結果が上のようなエビデンスの例であり、それを目的にするのではないのです。自我、我欲を強く持して行う瞑想などの行為は、必ずや慢心や固執心に囚われてしまうことで、自ら地の底に落ちていってしまいます。
瞑想は何事にもとらわれないことです。ただただ座るのです。つまり惟神の心が肝要です。
今日はこの辺で。
写真は六本木ヒルズでの講演。アカデミーヒルズ・アーテリジェントスクールでのテーマは瞑想のススメ。六本木ヒルズでは、この講演の他にアカデミーヒルズ・ライブラリーで朝活「モーニング・リフレッシュ〜朝瞑想〜」も毎週開催してましたので、マスコミの取材も来てたりと、注目の瞑想セミナーでした。