神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法回顧録シリーズ 〜その14〜

今日は久しぶりに日本拳法回顧録シリーズを。

 

なぜかというと、36年ぶりにロッキー4を観たのと、私の原点である日本拳法の総本山・洪游會本部道場へ、これまた36年ぶりに伺うことになった記念に氣ままに回顧録を書きたく思います。。

 

先日にシルベスター・スタローンが再編集したロッキーⅣ〜ロッキーvsドラゴ〜を観てきました。もう何もかもが懐かしく、自分の青春時代も重なって、不覚にも涙が出てしまいました。

そして何よりあのサウンドトラックの数々の名曲。15才のわたしは映画館に足繁く通い、13回観に行ったし、大人なってからはビデオを何百回観たことか笑。あのトレーニングの時に流れるトレーニンモンタージュとハーツオンファイヤーは、自分のトレーニングの時どれだけ流したことか、当時のカセットテープが擦り切れてしまったのはマジの話です笑。

 

当時はお金のないビンボー学生時代だったので

レーニング方法も、ドラゴのような科学的な資金たっぷりの練習方法(ジムに通ったり、マシーンや器具を使ったりという意味ね)ではなく、ロッキーよろしく自分で考え抜いて、映画(ロッキーやブルースリー、ジャッキーチェンとか)や本(格闘技や古武道など)を参考に身近なものを使ってのトレーニング法をあみ出して特訓してたな〜って思い出しては、懐かしい曲とともにじわじわと涙ぐむ。笑

 

中でもロッキーの映画はホント参考にしたな〜。

誰かにもらったデッカい辞典や電話帳、とにかく重いものをナップサックに入れて、そらを担いで階段を上り下がり、古いゴムチューブ(持ち手のないただのゴムね)をもらって筋トレや、砂場でフットワークなど下半身強化や鉄棒で懸垂など。ランニングも長距離はもちろんだが、よくやったのはダッシュとジョッグの連チャン。これはキツかったけど心肺力を強化できたと思う。長距離の最後は、ロッキーのようにスピード上げて全力ラン笑。ほんと家の目の前にあった西町公園はわたしのトレーニング場でした。そこで岡田師匠とよくよくよく練習したものです。まぁわたしが背が高かったのもあり格好の研究相手として笑。

今思えば、10K越えの防具を持って何十分も歩いて道場通ったのも筋トレやね。

 

拳法にしても、ビデオ撮影のカメラなんてもちろん買えないから、とにかく試合場へ足を運んで人間ビデオのように試合の様子を頭に叩き込んだ。特に好きな選手の試合は当然遊びなんかより優先でね。

参考にさせて頂いたのは、もちろん拳法の師匠である岡田五段、拳法スタイルが大好きな西光哲治六段、身体が大きくパワー拳法の高四段、ストロングスタイルの竹内四段、トコトン練習に付き合ってくださった学生準チャンプの笹部四段、天才肌の学生チャンプ若原四段、寝技対策に全日本連覇記録保持者の雑古六段や苦手なタイプの崩しが上手い宇野四段。

後になっては全日本などの試合で戦いあった天才感覚の金新四段、足の魔術師の西郷四段、後にプロにもなった吉瀧四段、同じハイキックが得意技の峰地四段に独特なスタイルで一回もイキが噛み合わなかった水木五段ら。特に全日本の2回戦で日本拳法協会(関東に本部を置く団体)の重量級チャンピオン鎌田四段との闘いは、交流・統一するようになったばかりの時代で、違う団体の拳法と、その全日本チャンピオンとの初闘いを体感して、感心、勉強になったのも記憶に残ってます。もう全部の試合が思い出やけどね笑。

これらの試合は今でも頭のビデオに焼き付けてます。

 

日本拳法は、あらためてスゴイ総合武道と思います。昭和初期に創始された総合格闘技のパイオニアであり、安全に実戦を練習できる画期的な拳法だったと思います。

五歳から、洪游會本部で大人の部に(その当時、お昼の少年の部は柔道しかなかったので、俺が拳法したいと言い張ったのもあり、無理やり大人の部に入れてもらいました。)チョロチョロしながら、でもその当時の鬼軍曹・奥瀬師範のもとで日本拳法の基礎を叩き込まれました。

今でも為になったと思ってるよが、基本を、特にワンツーを何百回も永遠にさせられたこと。お陰様でワンツーの速さや、綺麗さは自負できるくらいに修得できました。だから、わたしも後進にはそう伝えています。

当時の洪游會本部はスゴイ選手ばかりで、子どものわたしの目にも強く記憶されてます。それがわたしの拳法スタイルをつくったのかも。

まずは世界チャンピオンの中島六段、怪力の筒井五段、サバキの天才山根七段、全日本連覇の島田四段、そしてわたしの師匠である当時の岡田三段(現五段)などの方々の錚々たる面々でした。全日本社会人の団体戦準決勝で大将戦で戦った徳永四段が洪游會本部の記憶として最後の選手ですかね。この試合は副将までが同点の勝ち点で、大将戦になった、ともに道場を背負っての闘い。

恩返し的に一番印象に残ってます。わたしのベストバウトの一つですね。

ちなみに同期近辺では、小さい頃から見てきた高山三段、小門三段、米山三段、現八志会の石井四段、中央大へ行った赤沢四段らの先輩方や後輩の藤村四段、そして洪游會の会長こと中野五段こと文ちゃん。皆、奥瀬先生の教え子です。奥瀬先生は世界チャンピオンの中島さんを育てた天才師範といわれてました。ただ、怖かった〜。道場で泣いたら怒られるので、よくトイレで泣いて、そのまま水で顔洗って'ないてましぇん'って笑。懐かしい。

(すべての方々敬称略、記憶の限り当時の段位で載せてます。)

 

頭の中はすごいモデルの方々で一杯だった、生粋の道場育ちのわたしは、自分の背が高いのと手足が長いのを利点に、皆さんのそれぞれの拳法スタイルの利点を自分に落とし込んでオリジナルにつくっていきます。神田真澄流拳法ですね!ってなんか専門ネタでゴメンね笑、

 

時間が来たので、今日はこの辺で。

電車降りんと笑。

 

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洪游會本部に36年ぶりに訪問。向かって右隣は藤村師範と徳永五段。左隣は門下生として出稽古に連れてきたうつみんと、ブンちゃんこと中野会長。

 

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ロッキー四