神田真澄の氣ままな話 in 明光武道 深雪館

明光武道 深雪館 道場主のブログ

日本拳法回顧録 〜三段戦へ突入編 その1〜

久しぶりに日本拳法の続きを。

 

三段戦が始まったシーンからでしたね。

呼び出しがあり、試合場に入ります。

日本拳法総合格闘技のパイオニアとはいえ、日本武道です。そこは、礼に始まり礼に終わります。試合場へ入場するとき、試合の時、終了時、退場時と礼をします。

 

古代相撲の流れを汲むともいわれている日本拳法は、試合時の礼も蹲踞して拳を地面に下ろす形をとることでも独特です。

ちなみに古流柔術、空手、柔道などベースに澤山宗海宗家が創始した実戦総合武道・格闘技の  日本拳法。特に自由に当身や投げなどを行えるよう独自の防具を考案し、実戦格闘技として昭和初期に完成した背景を持つ喧嘩拳法とまでいわれた日本拳法。その普及に初期から携わったのが、宗家の右腕と謳われマテン(天満)の中野満・ナカノマンと言ったら、ヤクザも避けて通るといわれた中野満・ナカノミツル先生(洪遊会本部道場創設者)で、その歴史ある本部道場で縁あって、幼き頃から育ったのが私でした。当時は伝説の拳法家が多く、世界チャンピオンの中島さんや日本チャンピオンの島田さん。伝説の松永さんなど、当時は歴代のチャンピオンやトップ選手が所属していました。そしてその中島さんはじめ数々の拳士を育てあげた名師範・奥瀬先生や私の拳法の師匠である岡田兄も含め、史上有名な日本拳法家は殆どが、この本部道場出身です。

だからではないですが、その時代の日本拳法を知ってる、経てきた私には、最近のスポーツ化したというか、少し風変わりした現代日本拳法には正直興味が薄れているのも事実ですね。

 

話は少し横にいきましたが、戻して

最初の相手は偶然にも伊都高校・高校生でした。前にも書きましたが、高校のクラブではなく道場から出場してる私は、相手が殆ど学生OBや社会人が多く、同年代の高校生とは戦うことは、特に昇段試合では少なかったので笑。

 

試合が始まり、高校日本一を目指してる私にとって、同じ段の高校生は敵ではなく、瞬殺のごとく二本先取して一人目を抜きます。勝ったということね。ちなみに極め技は突き面という顔面ストレートと、銅回し蹴りというキックです。

 

そして、連続二人目の相手は大学生でした。どこの大学かは忘れましたね、流石に笑。

私よりやや大きかった記憶があります。

なんせうん十年前ですから、記憶が笑。

一人目を簡単に片付けた私は、まだ体力は十分残っており、逆に身体も温まって絶好調な二人目でした。でも、もちろん相手は体力を使ってないピチピチに元氣な状態の二段選手を相手にするので、氣合いはイヤでも入ります。

さぁ!

 

今日はこの辺で。

 

f:id:miyukikan:20190111144815j:image

日本拳法総合格闘技のパイオニア

投げ倒した相手に、押さえ込んでパンチ、キック、踏み蹴り、絞め技、関節技が許されます。

危険性が高いので、本数制を導入されています。屁理屈なしの、実際に殴り合う実戦性の高さがリアルに強さの証明ですね。